日本舞踊について(流派)

 

五大流派

現在、日本舞踊には200以上の流派があります。
その中でも代表的な五つを「五大流派」と呼んでいます。
ここではその五大流派を歴史の古い順に紹介します。

西川流

初代西川扇蔵が元禄時代に興した最も古い日本舞踊の流派で初代生誕から三百余年の歴史があります。

歴代の扇藏は、江戸三座の櫓付振付師として名をはせました。
特に二代目は「関の扉」「戻駕」など有名な古典舞踊の名作を次々と振付け、数多くの作品を伝承しています。
現代でも最も多く上演される歌舞伎十八番「勧進帳」を振りつけた?四代目は名人と称されました。

現在の家元は十世西川扇藏です。

また、名古屋には西川鯉三郎率いる分派「名古屋西川流」があります。

花柳流

花柳流は門弟数が2万人を超える日本舞踊最大の流派です。

名人と称された四代目西川扇蔵の高弟だった西川芳次郎が、西川流宗家相続争いに巻き込まれて独立、初代花柳芳次郎(後の初代花柳壽輔)として幕末に花柳流を起こしました。

他の流派に比べて手(踊りの振り)が多く、細かい間が特徴の舞うと言うよりも、より踊りらしい踊りなので、習い事に向いていると思います。

紋は桜と柳をあしらったものです。

藤間流

1700年前後に活躍していた振付師、藤間勘兵衛が創流。

勘兵衛の名は現在途絶えており、宗家藤間流(勘十郎派)と勘右衛門派に分かれています。

宗家藤間流は現在の歌舞伎のほとんどの振り付けを手がけている流派です。

三代勘兵衛の養子、藤間大助を初代藤間勘十郎として、昭和の初期に歌舞伎の神様と言われた六代目尾上菊五郎の振り付けを担った、名人六代目藤間勘十郎の代で現在の地位を確立しました。

現在は七代目藤間勘十郎(三世藤間勘祖)とその子である八代目藤間勘十郎が歌舞伎界全体の振付師として活躍しています。

片や勘右衛門派は、元歌舞伎役者で、二代目藤間勘十郎の弟子の初代藤間勘右衛門が創流し、三代目藤間勘右衛門(七代目松本幸四郎)からは全員現役の歌舞伎役者が家元に就いており、四代目藤間勘右衛門は二代目尾上松緑(おのえしょうろく)、五代目勘右衛門は初代尾上辰之助(三代目尾上松緑を襲名)、そして現在は四代目尾上松緑が六代目勘右衛門を名乗っています。

藤間流の特徴は手の多い花柳流とは正反対の手数、振りを少なく、心理描写や内面から溢れ出る表現を大事にしています。

坂東流

坂東流は文化文政年間の歌舞伎舞踊の名人(歌舞伎役者の)三代目坂東三津五郎が立てた流派です。

代々歌舞伎役者の坂東三津五郎が家元を継いでおり、家元の名前も坂東三津五郎なので、ちょっとややこしいのですが、歌舞伎役者の三代目坂東三津五郎が踊りの初代坂東三津五郎となっています。

三代目三津五郎(歌舞伎役者の七代目三津五郎)は六代目尾上菊五郎と共に「踊りの名人・神様」と称されて、いっせいをふうび日本舞踊について(流派)

 

五大流派

現在、日本舞踊には200以上の流派があります。

その中でも代表的な五つを「五大流派」と呼んでいます。

ここではその五大流派を歴史の古い順に紹介します。

 

西川流

初代西川扇蔵が元禄時代に興した最も古い日本舞踊の流派で初代生誕から三百余年の歴史があります。

 

歴代の扇藏は、江戸三座の櫓付振付師として名をはせました。

特に二代目は「関の扉」「戻駕」など有名な古典舞踊の名作を次々と振付け、数多くの作品を伝承しています。

現代でも最も多く上演される歌舞伎十八番「勧進帳」を振りつけた?四代目は名人と称されました。

 

現在の家元は十世西川扇藏です。

 

また、名古屋には西川鯉三郎率いる分派「名古屋西川流」があります。

 

花柳流

花柳流は門弟数が2万人を超える日本舞踊最大の流派です。

 

名人と称された四代目西川扇蔵の高弟だった西川芳次郎が、西川流宗家相続争いに巻き込まれて独立、初代花柳芳次郎(後の初代花柳壽輔)として幕末に花柳流を起こしました。

 

他の流派に比べて手(踊りの振り)が多く、細かい間が特徴の舞うと言うよりも、より踊りらしい踊りなので、習い事に向いていると思います。

 

紋は桜と柳をあしらったものです。

 

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舞扇子 桜と柳 あですがた108

藤間流

1700年前後に活躍していた振付師、藤間勘兵衛が創流。

 

勘兵衛の名は現在途絶えており、宗家藤間流(勘十郎派)と勘右衛門派に分かれています。

 

宗家藤間流は現在の歌舞伎のほとんどの振り付けを手がけている流派です。

 

三代勘兵衛の養子、藤間大助を初代藤間勘十郎として、昭和の初期に歌舞伎の神様と言われた六代目尾上菊五郎の振り付けを担った、名人六代目藤間勘十郎の代で現在の地位を確立しました。

 

現在は七代目藤間勘十郎(三世藤間勘祖)とその子である八代目藤間勘十郎が歌舞伎界全体の振付師として活躍しています。

 

片や勘右衛門派は、元歌舞伎役者で、二代目藤間勘十郎の弟子の初代藤間勘右衛門が創流し、三代目藤間勘右衛門(七代目松本幸四郎)からは全員現役の歌舞伎役者が家元に就いており、四代目藤間勘右衛門は二代目尾上松緑(おのえしょうろく)、五代目勘右衛門は初代尾上辰之助(三代目尾上松緑を襲名)、そして現在は四代目尾上松緑が六代目勘右衛門を名乗っています。

 

藤間流の特徴は手の多い花柳流とは正反対の手数、振りを少なく、心理描写や内面から溢れ出る表現を大事にしています。

 

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舞扇子 しだれ藤 あですがた105

坂東流

坂東流は文化文政年間の歌舞伎舞踊の名人(歌舞伎役者の)三代目坂東三津五郎が立てた流派です。

 

代々歌舞伎役者の坂東三津五郎が家元を継いでおり、家元の名前も坂東三津五郎なので、ちょっとややこしいのですが、歌舞伎役者の三代目坂東三津五郎が踊りの初代坂東三津五郎となっています。

 

三代目三津五郎(歌舞伎役者の七代目三津五郎)は六代目尾上菊五郎と共に「踊りの名人・神様」と称されて、一世を風靡しました。

その後も代々の歌舞伎役者坂東三津五郎が家元を継ぎ、現在は若き坂東巳之助が家元となっています。

若柳流

若柳流は1895年、初代花柳壽輔門下であった花柳芳松が興した流派です。

その地盤である柳橋が花街であったため花柳界に勢力を広げ、お座敷に合う手振りの多い、上品な踊りが特徴となっています。

その後若柳流西、寿慶協会、寿慶会、直派分家若柳流など細かく分裂し、現在に至っています。

踊りの流派は五大流派以外に日本舞踊協会に加入している流派だけで約120もあります。
また 新しく創流されて日本舞踊協会に未加入の流派を加えると200以上、さらに新舞踊などの流派まで加えると正確に把握できないほど数多い流派が存在します。

もし流派を問わず日本舞踊を習いたいなら、地域のカルチャースクールなどですぐに受講できますので気軽に始められると思います。

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